一意、マニュアル、ドキュメントについて1時間半くらい勝手に脳内議論した

Q: 悩みなのですが、会社や現場やリーダーによって正解とされるドキュメントの作り方が違って、指摘される内容が違うのに、それぞれの指摘内容が「こうしたほうが一意に受け取れる」「こうしたほうがよりよい」というような言い過ぎれば独善的なもので、一意なものを求めるのに「正解の一意」が違ったりして、「どのタイプの一意」を求めてるのかなってわからなくなり、どう認知していいのか辛くなるときがあります。この講義だって、たぶん現場で使うと「他の人の書き方に統一して合わせてください」と言われてしまうことがあると思います。現場によって違うという、全く一意じゃない、それぞれガラパゴスな正解を持っている状況なのに、それぞれのリーダーが一意を諭す感じが矛盾していて心が乱れます。複数の「絶対的一意」がある感じですかね…。そこらへんどう捉えたら良いですか。

 

A: それは会社や現場やリーダーが悪い。または一意に取り決めをしない日本が悪い。同時に、それが現状であるのだからその中で最善を尽くすしかない、としか言えない。または、その程度に悩んでしまうあなたの能力の無さが悪い。

で、それがあなたの悩みであると言いましたね、そういう観点で言えば、「大変だね…」って思いますし僕はあなたに共感します。

そこで、この講義があなたのような方に少しでも役立てばいいと思いますし役立つところもあると思います。それくらいしかできませんが、そのようにしてください。僕たちは、あなた方に「なるべくどの現場やリーダーでも普遍的に持っている正解の採択」の部分に適用できる可能性が高い方法論を教えますので、これを学んで持ち帰ってもらえれば、役立つところがあると思います。(もちろん、現場でどうしようもないガラパゴスな書法があるのなら、そちらに合わせてください。または交渉して、変えてください。または、諦めてください。いずれにせよ、私はあなたに共感します)

 

 

Q: マニュアル化の是非を伺いたいです。この前会社で「ある程度マニュアルを作ること」を提案したら説得力が足りず却下されたのですが、僕は現場ごとにではあるけれども一意性を求めるならマニュアルできるところはマニュアル化したほうがコストパフォーマンスが上がると思います。

なぜなら、ホテルやレストランの接客を見れば分かるように、マニュアルによって一意な正解を示せているところは一意なアウトプットを低コストで出せているからです。普通に考えて、統一性や一意性を求めるのならば、マニュアル化するか、統一的な正解を明確にわかりやすく簡潔に示すべきだと思います。分かりやすくです。分かりづらく示したらコスパ上がらないんで。

そして、そういう一意な正解であるマニュアル、マニュアルじゃなくて「一意な答え」と言っても良いですが、それを示さない中で、解釈や成長を部下個人の裁量にまかせている状態の場合、非常に時間がかかると思います。学習コストがかかりますし、上司の手直しが増えますからわかりやすくコストかかってきます。それが「考える必要もなく、マニュアル読めば一発で分かること」ってけっこう多いと思いますし、そういうものに関してはいちいち部下一人ひとりが自分でそれぞれの時間を使って個人の裁量で考えるという無駄なリソースを使うよりならば、マニュアル化、つまり一意な答えを提示できる部分はしてしまったほうがいいと思います。

ですが、イメージですが、なぜかマニュアル化に批判的な人が多い。自分はそこが理解できない。たぶんマニュアルというものからイメージする実物の想像が違うんだと思うのが一つと、あとそもそも業界に残れているような人たちがマニュアルなしでやれてきたから「要らないだろ」という生存バイアスを持っているからだと思う。今後もずっと業界に残るような強い人達だけ会社やIT業界に残したいならあえてその「マニュアルゼロで、ほぼ自分で考えさせるか質問で答えを見つける方向性」で育てるのもいいと思うけど、そうでないなら普通に考えて、「本当に考えるべきところに脳のリソースを使わせるように、脳のリソースを使う必要のない、知ってしまえば一発なものはパッパと一意な回答を示してもらったほうがいい」と思う。そこらへんどう思うか。(生存バイアス無しで)

 

 

A: 「内容が違うから一様に言えないので、一様なマニュアル化ができない」

Q: それは間違いだと思う。何もホテルやレストランだって客に対して一字一句同じ一様な言葉を発するようなマニュアルなわけじゃなく、「たくさんのパターンごとに分類し、それぞれで一意なマニュアルを作っている」。パターンに分ければマニュアル化が可能。理系職種だってそれが可能だと思う。よって、今の「一様なマニュアルができない」というような答えは間違っていると思います。一様にするなんていう必要がないので。

 

 

A: 「マニュアルを与えられても自分で考える力がつかないし積極的に他人に聞けるような人になれない」

Q: なぜそう思うのか?こちらからしたら「考える必要の無い、知れば一発で終わりのものをマニュアル化したらいいし、そうすることで本当に考える必要のある部分に脳のリソースを回すことができる」と思う。どうしても「マニュアルを与えたら積極性が落ちる」というコスパの悪い考え方をやめないなら、マニュアルに「こういうときは質問してください」と書けばいい。

単純に「うちは個性を大事にしたいんで、統一感を求めたいときにはパフォーマンスが落ちますが、まあそこよりもあえて縛らないでやってるメリットも確かにあると思っているので、そっちを重視してます」ということならいいけど、それよりも浅い考えならばマニュアル作るほうが懸命じゃないかな。作れる能力無い、または生存バイアスがあるなりすれば、共感してくれないだろうけど…

 

 

A: 「マニュアルなんて読まないっしょ」

Q: それは違う。それはあなたの想像するマニュアルが役に立たないものであるから。こちらが想定しているマニュアルは「仕事で絶対に使えて、もっと役に立つもの」。マニュアルと言うと憲法の文みたいなつまらないものをイメージされると違う。こちらのイメージでは「(各役職における)新人が困るor絶対役立つことの前提や答えが書いてあるリスト」のようなもの。

 

 

A: 「コストがかかるから」

Q: それは間違いだと思う。上司がそれを作る能力が無いだけか、または部下がそのマニュアルが無いがためにかけている無駄なコストが想像できていないからだと思う。教えてもらえば5秒で分かることを、明文化されないでいるから部下はいちいち答えを得自分で考えて、それぞれの裁量に任せて車輪の再開発を行っている。あろうことか、車輪の再開発する対象が「一意であるべきもの」である。コストに見合わないと思う。それぞれの個性に合わせた結果を求めるならそれぞれに考えさせて答えを探し出していかせる方式でもいいと思うけど、一意であることを求めるなら手っ取り早く正解を教えてほしいし、そのほうが総合的に考えてコストかからないと考えるがどうか?

 

 

考え: 「例えばドキュメントにおいてマニュアルを作らないデメリット」

・そもそもマニュアル化できないということは一意な答えを明文化できていないということだと思う。それが意味することは、ドキュメントの正解が一意でなく、それぞれのその時の上司の感覚、つまり理不尽ということになる。また、正解を「学ぶ部下個人の採択」にまかせているということで、一意とはかけ離れている行為だと思う。

・理不尽なものに従うのは学習コストが高いしパフォーマンスも落ちると思う。毎回正解が違ったら合わせるのが大変だから質が落ちる。そうなると納品物の品質も落ちる。マニュアルを作らないとそういう弊害もあると思う。現に自分は未だに答えが分からなくてけっこうやり直しをさせられていて頭が意味わからなくなっている。

・どこが理不尽かというのは、そういう「答えが一意でなく上司の採択」によって決まってしまうという全く非論理的な状態になっているのに、上司がする指摘や注意が「こうしたほうが一意に読める」という、まるで論理的であることを気取るような内容であるから。そこが余計頭が混乱する。非論理的なことをされながら「論理的になれ」と叱られるような状態になってしまう。これは、正解の解釈を個々の裁量に任せている限りどこの現場でもありうることだから、やはり一意な答えが無いのは良くないと思う。